〚編集者ブログ〛TeRasaKi THiNKS

書籍編集者の日々のバブル

詩人・言葉の達人としての山本耀司

編集の仕事をしていると「この人の本を作りたい」というのが、どうしてもある。

でも、属する出版社のジャンル傾向に合致していないと、正直厳しい。

自分のなかでそんなモヤモヤな対象が「山本耀司」だ。

山本耀司は文筆家としてスゴい

山本耀司=ヨージ・ヤマモトは日本を代表するファッションデザイナーとして広く知られているが、じつは「文章」もすごい。

たとえば著作の『MY DEAR BOMB』(岩波書店)の冒頭の一節がこれ。

だいたいにして男というものは、時折、頭のいい女の中に同胞の片鱗を見たりする他は、男としての分際を際立たせてくれるあたたかい容れ物を探しているのが常である。

いわゆる女らしさにはもう疲れてウンザリと言いながら、一度でも女の中にその自我を見すぎてしまった男は、ついに女を憎むようになり、以後、その面影を振り払うようにして、さくらんぼうの一方を突いては揺らし、手管で女を弄ぶ。

畢竟、男は自らを越えるものを許せないのであって、男は自らのみを愛す。もちろん、縁もゆかりもない人間と一瞬すれ違って会釈を交わすというような、雑踏の中の孤立をギリギリのところで穴埋めする最低限の契りの中に、ふと人生の幸せなどという大袈裟な瞬間を見出すこともあるだろう。あるいは、それこそが人間という世界に存在する最も美しい躾(しつけ)の進化なのかもしれないのだが。

一方、女は、そんな男という生き物の中に鼓動する情けないほどの愛おしさを愛してしまう。殊に痕のある魂に足をとられて愛おしい狂おしいとなれば、一生を泣いて過ごし、"My Dog is working like a dog"という女の言葉がその男への最大の賛辞となって深く掌に抱けば、一生をともにすることになるだろう。
――――これは、わたしが愛した、ある一人の男の話である。

山本耀司『MY DEAR BOMB』(岩波書店)より

ダンディズムに溢れた文体に痺れる。

男であれば誰しも皆、同じようなことを考えている。今、自分が生きている人生から逃げてしまいたい、どこかでいい女と出会って逃げてしまいたい、と思っているに違いないのだ。ただそれを実行しない男がほとんどだ、というだけのことである。

人として生まれ、少しでもモノに悩み、少しでもモノを考える人間であれば、まずは親をぶっ殺したいと思い、好きな女ができてもお役所に届け出て籍を入れるなどということは馬鹿馬鹿しくてやっていられない。では、なぜそんなことをしているのかといえば、自らのエゴや強烈な欲望を押し殺してでも、家族を悲しませない、というシンプルな選択をしているだけのことで、そのためにただひたすらガマンしているわけだ。

だから、シンプルは間抜けとも言う。

長く生きていると、若い時分に自分で決めた人生の姿勢では対応しきれない事態が往々にして勃発する。人生の大通りから外れて横道を歩こうという人生の選択しかり、おまえたちには口を出さないから、わたしにも口を出さないでくれという暗黙の了解しかり。生涯そうして生きてやろうと心に決め、早く人生やっつけて早く終わりにしたい、と思い続けてきた。

その思いは、今でもまったく変わらない。

山本耀司『MY DEAR BOMB』(岩波書店)より

「父兄参観」と題された文章の冒頭部分がこれだが、じわじわ共感する男性も少なくないと思う。コム・デ・ギャルソン川久保玲しかり、この世代の「世界に認めさせた日本人クリエイター」の言葉からにじみ出る反骨精神は刺激に満ちている。

もうひとつ、好きな文章を紹介する。

辞書に書かれているモダニズムの定義などに、安易に騙されてはいけない。人間の根源的な哀しさ、生きる疑問を忘れて、モダニズムに走るな。

世の中の権威、制度、体制、それらすべてに反抗することは、常にマイノリティの立場にあるということだ。わたしは、いつだって反抗する側の人間、マイノリティの側にいる彼らにこそシンパシーを感じる。

この自分を取り巻く状況に望んで生まれてきたわけではない。どうして何もかもがこうなのだ、という人間の原初的な不公平に寄り添って生きること。それを忘れてしまえば、どんなに新しそうなことをしたとしても、人の魂には響かない。
響くはずがない。
「どうして何もかもがこうなのだ、という人間の原初的な不公平に寄り添って生きること。それを忘れてしまえば、どんなに新しそうなことをしたとしても、人の魂には響かない」という一文は自分の仕事にも生かせる教訓という気がする。

わたしは、すべてのファシズムが嫌いである。権威が嫌いである。偉そうなものも大嫌いである。権威のない服を作るのが、わたしの課題であり、女物は特に、イイ女に見えるとか、お嬢様に見えるとか、だいたい、あのリクルート・ファッションって何だ? 有能そうに見せて、ただオヤジをひっかけるだけの服じゃないか。

・・・まあ、そんなこと、どうでもいいか。
たかが人生なのだから。

女よ、一生、女でいてくれ。女を売りにしたり、誰かの奥さんになったり、キャリア・ウーマンになったり、そんな肩書に生きるのではなく、女よ、ずっと女でいてくれ。

山本耀司『MY DEAR BOMB』(岩波書店)より

 

こんな感じの山本耀司ワールドが楽しめる唯一の著作『MY DEAR BOMB』の表4帯のキャッチコピーは

いつしか、確信犯的なロックンロールが始まる。
というもの。

カバーのない洋書のような真っ黒の装丁で、随所に強烈な美意識を感じさせる『MY DEAR BOMB』。残念ながら、現在は品切れ重版未定で手に入りにくくなってるようだけど、刺さる人にはグサッと深部まで刺さる劇薬的な本だ。

山本耀司はミュージシャンとしてもスゴい

ヨージ・ヤマモトはもともとミュージシャンを目指していた時期があるそうで、これまた独特の世界観を有する音楽を創り出していて、CDもいくつか発売されている。

なかでも1998年にリリースした『地下生活 Dog of Terror』という作品が傑作だ。当時、このアルバムの制作風景を撮影したドキュメンタリーがテレビで放映されていて、たまたま観た瞬間に「山本耀司ヤバい」と思ってCDをすぐに買った記憶がある。

山本耀司の「言葉」に圧倒されたのはこれがきっかけだった。

 

『ガラスの時代』


あっちを向けと言えばあっちを向くんだね
こっちを向けと言えば素直に向くんだね

逆らう手間が面倒なんだね
怖いくらいに冷たいんだね

雨だってあんなに真面目に降ってる
冬でさえこんなにまっすぐ寒いのに

こんなに突き放されたら生きていけない
こんなに遠く離れたら歩いて行けない

人に合わせて仕事を変えたり
仕事の通りに自分を変えたり

アホみたいに暮らすんだね
絶望の時代だから絶望するんだね

ガラスの時代の容れ物なんだね
心も身体も借りてきたんだね

悲しさに耐えていける訳だから
幸せにも耐えていけるというんだね 

 

この歌詞にぶっ飛んだ。「世界のトレンドを作り出している最先端モードの人がこんなメッセージ発してていいの?」と率直に思ったのと同時に、「絶望の時代だから絶望するんだね」と突き放した感じで言われてショックを覚えた。

※残念ながらこのCDも廃盤で、手に入りにくい。

 

最後に山本耀司の名言をいくつかご紹介しよう。

「僕はデザイナーという職業でいながら、デザインって言葉が嫌いです。
『画策する』とか『謀る』みたいな『悪だくみ』みたいな語感に近い」

「人間がつちかってきた美術、美意識、伝統の完成度。これらの隣におくことができるかどうかが問われる。壊すのは子供でもできる。伝統の美しさと対等な力で存在しうるかどうかが壊すことの難しさ」

シンガポールは、路上でタバコ吸うと、罰金取られるでしょ、昔からそういう条例があるところだから、好きじゃないんだ、清潔で。俺が好きなのはダウンタウン

「黒いブーツと ギブソンがあればいい」

「服を選ぶってのは人生を選ぶってことだ」

「ぼくがやってきた仕事は、ファッションデザインという職業そのものへの反発から始まりました」

「至る所にコンビニや自販機がある今の日本ほど、安い便利を生きている国はない。その中で、若者は夢が見つけられずに苦しんでいる。強いあこがれさえあれば、人間飲まず食わずでもやれるのに」